「なあシリル」
「何、ルーク」
昼食後のひと時、シュヴァルツの淹れたコーヒーを飲んでいるシリルにルークが声をかける。
今は幾分か具合がいいようだ。
「シリルも貴族なんだろ?どうしてこんな所でギルド生活なんかしてるんだよ」
「ルークなんて貴族どころか王族じゃないか。同じことだろ」
「同じじゃねーって。俺は成り行きって感じだけど、シリルは違うじゃないか」
「……………」
おそらく、単なる好奇心なのだろう。
普通に考えれば、貴族がギルドになど所属している筈がない。
スパーダのように不良で勘当されているというのならば話は別だが、シリルにそのような面は見られない。
「…ま、色々お家事情ってものがあってね」
「シリルも、スパーダみたいに末っ子で取り分がないとか?」
「いや、俺は長男だよ」
「だったら…」
18歳といえば、跡継ぎとなる為の教育を受けている真っ最中だろう。現にルークがそうだ。
今はこうしてギルド生活をしているが、それまでは毎日家庭教師に勉強を教えられていた。

その時、ふっとシリルが目を細めたのを見逃さなかった。
それは悲しそうな、どこか遠くを見るような。
「…自分の身を守る為だよ」
「え…?」
「っ…ゲホ!」
途端、口元を押さえて激しく咳き込む。
掌を見ると、赤く濡れていた。
「シリル!」
「シリル様!」
食器の片付けをしていたシュヴァルツがすぐに駆けてくる。
右足に付けている小物入れから何種類かの薬を取り出し、一気に口に含み飲み込む。
暫くの間苦しそうな呻き声が聞こえたが、段々と呼吸が落ち着いていくのがわかった。
「はっ…は…」
「シリル様、部屋でお休みになられた方が…」
「…大丈夫…」
言いつつも、その声にはまだ苦痛の色が窺えた。
何度か深呼吸し、息を落ち着かせる。
ぐいと手の甲で血を拭い、鉄くさい口内の口直しの為に、残ったコーヒーを呷る。

「…ふう、悪いねルーク。話の途中で」
「いや…」
「シュヴァルツ、代わりに説明してやってよ」
話すのは少しだるい、と背もたれに体を預けて言う。
しかしシュヴァルツの方は口ごもる。いつもなら、シリルの命令にはすぐに従うのに。
「主人の過去を話すのは気が引ける?いいんだよ、どうせ隠すようなことでもないし。貴族の間じゃよくある話だろう?」
「…承知致しました」
シリルの隣の椅子に座り、重そうな口を開く。
その顔は暗く、どう考えても楽しい内容ではないのだとルークにも容易に想像出来た。

「…シリル様は、ご覧の通りお体の弱い方です。それは、生まれつきでした。ですから、幼い頃より私がお側でお世話をさせて頂いております」
「……………」
シュヴァルツが話している間、シリルは目を閉じて何も言わずに聞いている。
それは眠っているようにも見えたが、時折足を組み替えるところを見ると起きてはいるようだ。
一体何を思ってシュヴァルツに話させているのか、それを聞いてどう思っているのか、ルークには図ることは出来ない。
「幼少期は、嫡男としてふさわしい教育を受けておられました。お体が弱いことを除けば、跡継ぎとして何の問題もない才をお持ちです。しかし…」
「…しかし?」
「『いつ病に倒れるかもわからない者を継がせる訳にはいかない』と、2年前旦那様は、弟君を跡継ぎになさることをお決めになりました」
「え…!?長男のシリルが家にいるのに!?」
普通家というものは長男が継ぐのが基本だ。しかしシリルは長男であるにも関わらず、家を継ぐことを認められなかった。
たとえ頭脳が問題なくても、体が弱くては家は継げない。健康な子を残すことも、 当主に与えられた使命なのだから。
シリルにはそれは果たせないだろうと、判断されたのだ。

「その決定が下された一月後に、シリル様は家を出ました」
「どうしてだよ。確かに跡継ぎにはなれないけど、出て行けって言われた訳じゃないんだろ?」
「…ルークならわかるんじゃない?」
今まで口を閉じていたシリルが声を発する。声音は落ち着いていた。
菫色の瞳がルークを映す。その目はとても静かだった。
「どうして君とアッシュが引き離されたのか…それと似たようなものだよ」
「え…?」
「弟は気が強くてね、俺のことも嫌っていた。多分、昔から両親の関心が俺に向いていたのが気に食わなかったんだろうね」
長男、しかも病弱。そのせいで両親はいつもシリルを心配し、その心はシリルにばかり向いていた。
弟には、きっとそれが我慢ならなかったのだろう。
部屋で一人不平を零していたのを、シリルは知っていた。
『兄上なんて、いなければいいのに』と。

「家の実権が自分に移ることが決まれば、もう俺の存在はあいつにとって邪魔でしかない。 あのまま家にいたら、事故や病気にでもみせかけていずれ殺される。 だから、もうあの家にはいられないんだよ…」
「……………」
双子として生を受け、たった数分遅かっただけで僧院へと預けられ、全く違う人生を強制されたアッシュ。
跡継ぎを巡ってのトラブルを防ぐ為と言っても、それはアッシュにとって到底納得出来るものではないだろう。
表面上の形は違っても、まさにシリルはその状況にあったのだ。
そしてトラブルを回避する為、自らの命を守る為に、自分の意志で家を出た。
もしアッシュと共に育てられていたら、同じことになっていたかもしれない姿が、そこにあった。

「言ったろ?色々とお家事情ってものがあるって」
「…ごめん。俺…」
「いいんだよ。貴族の間じゃよくあることだって言っただろ」
しゅんとうな垂れるルークにふっと笑みを浮かべる。
貴族らしくないところは、ルークの魅力だとシリルは思う。
豪華さを装った裏の血生臭い貴族の争いには、正直疲れる。
だから、ルークとアッシュには仲良くしてもらいたいと思っている。
どうやらアッシュに跡継ぎになる気はないようだし、後はお互いの心の歩み寄り次第だ。
貴族に男児は二人もいらないなんて、そんなことにならないように。

「俺は後悔はしていないよ。16年間領地の中しか見たことがなかったけど、お蔭で外の世界を見れる。 こうしてギルドで、色んな人とも会える。薬の手配だけは少し面倒だけど、 それ以外はとても充実している。家を出て、良かったと思ってるよ」
「…すごいんだな。シリルって」
「そんなことない。俺はほら、ただの体の弱いガキですから」
にこりと笑顔を向ける。ルークも笑顔で応える。
しかしさっきの、どこか寂しそうな、遠くを見るシリルの目だけは頭から離れなかった。
後悔はしていない。それは本当だとしても、寂しくはないのだろうか。
16年間住み続けた家を出ることに、本当にためらいはなかったのだろうか。
それを尋ねる勇気は、ルークにはなかった。





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あとがき

「話すのだるい」とか言いながら結局ぺらぺら喋っているせいで、後半のシュヴァルツが実に空気です。
きっと空気読んで発言を慎んだんです。

まだ細かいところは考えていませんが、シリルの過去は大体こんな感じかと。
あ、食堂の椅子って背もたれなかったね…。

09.7.10
10.10.5(加筆修正)