「兄さん……」
呟いたあの声は、きっと一生忘れられないだろう。
雨音
『うわああん!』
広い庭に、子供の高い泣き声が響く。
蹲り泣いている黒髪の子供の隣には、困ったように頭を掻く年上の少年。
『おい時生…』
『こら一燈!』
後ろから聞こえた声。
振り向くと、泣き続けている子供に似た黒髪の少年。
怒った表情を浮かべ、二人に近づいて来る。
『なにまた時生を泣かせてるんだよ!』
『またって…遊んでやってただけだろ。いきなり泣き出したんだよ!』
『お前が乱暴なことするからだろ!』
文句を言うのはとりあえず後にして、しゃがんですすり泣きに変わった小さな弟の頭を撫でてやる。
『大丈夫だよ時生。もう怖くないよ』
『うぅ…』
『ごめんね一燈と二人になんてして。もういじめさせたりしないから』
『だからいじめてねえよ!』
横で一燈の不満げな怒声を浴びながら、よしよしと宥める。
兄の言葉と手に安心したのか、ようやく子供は涙を引っ込めた。
『一燈、時生を泣かせたら許さないからな!』
『はいはい!』
眉間に皺を寄せ乱暴に返事を返す。
その横で涙の跡もそのままに二人を見る小さな子供。
赤くなった大きな目を瞬かせ、優しい兄の笑顔を映す。
頬を伝っている涙を袖で拭ってやると、やっと笑顔を見せてくれた。
雨。屋根の瓦を叩く音が家中に響く。
朝から降り続ける雨は、止むことを知らず強さを増すばかりだった。
煩い。どの部屋へ行っても雨音から逃げることは出来なくて。
結局は自室の隅で黙って膝を抱えて止むのを待つしかなかった。
「……………」
手で耳を塞いでも聞こえてくる。
雨の音と共に、蘇るのは過去。
優しかった兄。いつも一緒に遊んでくれた。いつも守ってくれた。
大好きだった。
大好きだった。のに。
そう、こんな雨の日。
全てが変わった日。
優しく笑ってくれる兄はそこにいなかった。
父と母の血を浴びて佇んでいたのは、兄の姿をした「何か」だった。
何故自分は助かったのだろう。何故彼は自分を殺さなかったのだろう。
いっそ一緒に殺されてしまっていたなら、こんなに苦しむことも。
「時生」
考えは、低い呼びかけで掻き消された。
「……一燈、さん…」
無遠慮に部屋に入ってきたのは、もう一人の兄のような存在。
この雨の中わざわざバイクを走らせてきたのか、服はずぶ濡れだった。
一応拭いたようで、手にはたっぷり水を吸ったタオル。
拭いきれなかった髪の先から落ちる雫が、畳に染みを作る。
「……………」
「……………」
互いに何も言わない。
一燈はただ立ったまま、蹲る時生を見る。
こんな強い雨の日は、いつも部屋の隅で止むまで膝を抱えている。
そこにいつもの時生はいない。
時生の意識は、過去へと向いている。
優しかった過去。唐突に覆された。
奪われた幸せな未来。何故。
ゆっくりと近づき、隣に腰掛ける。時生は何の反応もしない。
煙草を銜え、手から炎を出す。
湿気っているようで、結局火は点かなかった。
小さく舌打ちして、乱暴にポケットに戻す。
強い雨が降った日は、いつもこうして時生の隣に座って一日を過ごす。
店は臨時休業。部下も何も言わない。
何か言葉を交わすでもなく、ただ隣に。
一人になんかしておけない。不安定で、何をしでかすかわからないから。
だから隣で、一人ではないことを教える。
いつもあいつの隣にいたから。
そこが時生にとって安心出来る場所なら、代わりでもいい、与えてやる。
「あの日」以来六年、これが一燈の習慣になっていた。
平和で、優しかった日々。
何の確証もなく、それでも子供心にこの幸せは続くものだと思っていた。
『一燈、時生を泣かせたら許さないからな!』
「…フン」
よく言う。当のお前が泣かせているじゃないか。
あの日から数日、部屋に篭もってすすり泣き続けていたことを知っているか。
今でも、雨の日密かに涙を流していることを知っているか。
「それなら、オレもお前を許さねえ」
時生は何も言わなかった。
雨音は強くなるばかりだった。
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後書き
7月31日のカトブレパス絵茶で書くと約束した「時時(兄×弟)前提の一→時」です。
……どこらへんが?自分で自分に問いただしたいです。
これはフツーにカップリング要素は無しと言ってもいいんじゃないかと…。
ごめんなさいどうやら私には無理でした…orz 期待してたらすみませんでした。
お兄様大好きな時生くんは何とか入れようと頑張ったのですが。
今度リベンジ出来たらいい、な……(弱気)
では、ここまで読んでくださってありがとうございました。
07.8.19