深夜、波の音が聞こえる港町。
街灯も消えた街の路地裏で、静かな夜には不釣合いな声が空気を裂く。
「な…なん、だよ…お前…」
怯えて青ざめた顔。がたがたと震える様は同情を煽るものではあるが、 残念ながら彼を恐怖に染めている本人にその様子は見えない。
黒い髪に黒い瞳。濃い灰色の燕尾服。
闇に溶けそうな風体ながら、射抜くような目と、その手元で鈍く光る銀色が男の存在を表していた。

ずるずると後ろに引き下がる。それと同じだけ燕尾の男も歩みを進める。
「く、来るな…来る、っひい!?」
ぴしゃ、と濡れた音が足元から跳ねた。驚いて下を向けば、闇で黒くぬらつく液体。
すぐ側には、先程まで一緒にいた筈の仲間が倒れこんでいた。
仰向けで横たわり、男を見据える目は光がなく濁っている。
頭と体を繋ぎとめていなければならない部位がぱっくりと開き、未だたらたらと赤黒い体液を流し続けていた。
「ぅわあああ!!?」
腰が抜けそうになりながらも、バランスを崩しつつ離れる。
確かに、そう確かにほんの数分前まで、そこで横たわる男は自分と一緒にいた筈。
一緒に酒を飲み、笑っていた筈。
彼だけではない、そこで同じように喉に切れ目がある男も、向こうで額から下が真っ赤に染まっている男も、皆一緒だった。
それなのに。それなのに。
先程、路地裏でたむろしながら酒を飲んでいた自分達の前に突然現れた燕尾の男によって、 あっという間に覆された。

「なん…なんだよ…お前…」
「少々、お伺いしたいことがあるのですが」
男の問いには答えず、逆に質問が返ってくる。
その時、燕尾の男の後ろにゆらりと影が出来た。
ぎらりと光るナイフを構え、そっと近付いてくる。
「このやっ…!」
「うああああああ!?」
振りかぶった瞬間、しかし男の言葉は途切れた。
一瞬の間に、額に小さなナイフが植え付けられる。
燕尾の男は振り向きもせず、だが正確に後ろの男の額に向けてナイフを投げた。
しゅうしゅうと赤い飛沫をあげながら倒れこんでいく様子を目の前で捉え、 追い詰められた自分の状況も忘れただ叫んだ。
「…ああ、もう話を聞けるのが貴方しかおりませんね」
「う、あ…」
どん、と壁に背中がぶつかり、そのままずるずるとへたり込む。
仲間がやられていく様子を見ればわかる。すべて一瞬で終わらせられていた。
反撃の隙もなく、鮮やかとも言える手さばきで。
燕尾服なんて着ているくせに、戦い慣れしている。たかだか街のゴロツキである自分とは訳が違う。

「私達は今日の夕方この街に入ったのです。それなのに何故狙われていたのでしょう?」
「…は…?何、言…」
「夕方、私と主人がホテルに入るまで、つけていらっしゃいましたよね?」
「っ………!?」
そうだ。思い出した。
今まであまりに唐突な出来事すぎて、記憶と繋がらなかった。
この男は、自分達が狙っていた少年と一緒にいた男だ。
「……………」
「理由を、教えて頂けますか?」
上から覗き込んでくる。言葉遣いこそ丁寧で落ち着いたものだが、その目に背筋が凍りつく。
ひゅうひゅうと喉を空気が通り抜ける。だがうまく言葉が出てこない。
手足は憐れな程に震え、歯の根が噛み合わずかちかちと音が鳴った。
「ぁ…あん、たの…」
「私の?」
「あんたの…その、服…見て…。金持ち、だと…思っ、て……」
「それで、主人を襲って金目の物でも取ろうと?」
最後を代弁した台詞に、がくがくと頷く。
そう、ほんの軽い気持ちだった。
燕尾服を着た男を連れた少年を見て、平民ではないと思った。
目の前にいる男に支えられながら、具合悪そうに青ざめた顔をしてホテルに入って行く様子に、 襲うのは簡単だと思ったのだ。
明日ホテルから出てきたところでも襲って、金目の物を頂いてしまおうと、仲間と話していた。
今までも街に来た金持ち相手に同じようなことを何度かしてきたし、今回だって簡単に済む筈だった。
それなのに。

「ぃ、言い出したのは俺じゃない!今は別の所にいる、俺達の兄貴が…!」
「ふむ、やはりこの格好で出歩くのは考えものということですね。しかしこれが一番落ち着くし…」
言い逃れようとする男の言葉を聞いていないかのように無視し、ぶつぶつと呟く。
「…それで、貴方方の主人はどちらに?」
「あ…ま、街外れの…倉庫置き場…。廃倉庫に…いつも…」
「そうですか。ありがとうございます」
びゅっと剣を振り血を払い、鞘へとしまう。
それを見て、どっと力が抜けた。助かった。
しかしこんな所にいつまでもいたくない。残る力を使って足を奮い立たせ、 燕尾の男の横をすり抜け走り出す。
「わああああ、っ!」
どん。という音が頭の中に響いた気がした。
しかしそれが何かと考える前に、男は地面へと倒れ付す。
首の後ろに鋭利な銀色を光らせて。

*

「…随分と暴れてくれたようだな」
「ロゼさん」
ずる、と嫌な音を立てて額からナイフを引き抜いたところで、後ろから声がかかった。
ワインレッドと銀の変わった色の長髪が、吹いた風に煽られる。
足元に倒れている男達を見て、しかしその冷静な瞳は揺らがなかった。
治癒術をかけてやろうとは思わない。一目見て、そんな必要がある人間は一人もいないとわかったから。
「ホテルに入る前につけていた奴らか」
「はい」
「殺す必要があったのか。本当に襲ってきたとしても、その時対処出来ただろう」
自分も人を殺すことに対して、他人より淡白な自覚はある。
しかしかといって、実際危害を加えられた訳でもない人間に手をかけるようなことはしない。
「出かかった杭は、抜いてしまいませんと」
「…用心深いことだな」

ナイフを全て回収して、べったりついた血を拭いて元の場所にしまう。
路地裏を抜けて行こうとするのを見て、声が引き止める。
「後始末もせずどこに行く気だ。もし足がついてアドリビトムに悪評が立ったらどうするつもりだ」
「まだ首謀者が残っているのです。すぐに向かいたいので、後始末をお願い出来ませんか」
「…まだ殺す気か」
その問いに、当然だとでも言いたげに「はい」と返ってきた。
「シリル様の敵ですから」
口元こそ笑っているものの、その黒い目は冷たく、ただ暗かった。





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あとがき

「schwarz」はドイツ語で「黒」
黒いというか、病んでる執事。
「シリル様is世界のすべて」だから、その世界を害そうとする奴がいれば容赦しない。
たとえ実際行動に移していなくても。
「出る杭は打つ」のではなく、「出かかってしまった杭は、 打ち直してもまた出てきてしまうかもしれない。 だったら出かけた時点で抜いてしまえばいいじゃないですか」な思考。
だから実際襲われてからやっつけるのではなく、襲われる前に殺す。根元から引っこ抜いてしまえ。
主人に忠実な執事。確かに忠実だけど、加減を知らない。
多分今までも何度かこういうことしています。
2年間一人で主人を護り続けてきたんだから、相手が魔物ばかりとは限らない。

09.8.3
10.10.5(加筆修正)