「お、丁度いいや。坊や、そこの本取ってくれ」
資料室の側を通りかかったところでかけられた、少年の声。
開いたままの入り口から中を覗けば、そこには赤い髪の少年。
いや、青年だ。彼は自分よりも年上なのだから。
「なんだよアレクさん。こんな所にいるなんて珍しいな」
「喧嘩売ってんのか。オレだって本くらい読むっつーの」
いいから取れ。と指差すのは、本棚の一番上に仕舞われているハードカバー。
ちらりと辺りを見回すと、なるほど踏み台になるようなものはない。
まさか本を台にする訳にもいかず、自分一人で何とか取ろうと奮戦していたというところか。
今まで彼からこういった頼みごとをされた経験はないことを思うと、普段は彼の弟がなすべき仕事であろうと想像出来た。
自分とでは30p以上も違う身長。彼くらいの背丈の時代などとうの昔に過ぎてしまったが、今こうして見ると不便なものだ。

「…ほら、これでいいのか」
「ああ、サンキュ」
望む本を棚から引き出し手渡す。割と厚く重量のある本だというのに、その小さな手は難なく片手で受け取った。
「いいよこれくらい。その体じゃしょうがないしな」
にこりと笑いかける。少し気分が良かった。
口を開けば尊大な態度のアレクの、思いがけず可愛らしい一面を見ることが出来たから。
本人からしたら失礼極まりないことだが、棚の上の物が取れないなんて。
その時、一瞬アレクの指先がぴくりと震えた気がしたのは、単なる気のせいだろうか。

「じゃあ、もう俺は行くよ」
踵を返し出入り口へ向かう。一歩踏み出し、そして腕を何かに掴まれた感覚。
瞬間、もの凄い外力によって体が後ろに傾く。一気にかかる重力が増えたかのようだ。
だぁん、と激しい音と共に、背中から全身にかけての痛み。
後頭部を強打したようで、一度跳ね返ってまた床に沈む。ぐわんぐわんと脳内が回った。
「ぅっ…ぐ…!」
痛みにぎゅっと目を閉じて耐えている間に、続けざまにかかる圧力。
投げ出された両腕は手首を掴んで捉えられ、太腿と腹部をそれぞれ足で押さえつけられる。
目を開ければ、見えるのは勝ち誇ったように見下ろす碧眼。
押し倒された体勢に、痛む頭で状況を整理する。いや、経過からいえば引き倒されたと言うべきか。
「ぇ、ちょ…アレクさん…?」
体を起き上がらせようとするが、掴まれた腕はびくともしない。
逆にぎりりと握り締められ表情が歪む。
この人が本気になれば、自分の手首など簡単にへし折られてしまうだろう。それは避けたい。
しかし腹筋だけで上半身を起こそうにも、足と腹部にも膝を使って加重され動かせない。
アレク本人の体重はさほど重くない筈なのに、この人は力の加え方を知っている。
何より、足はともかく腹を圧迫されるのが息苦しかった。
自由に動かせるのは足一本だが、こんなもので何が出来よう。
アレクの胴は足より上にある為、蹴り飛ばすことも出来ない。
ああ何ということだ。こんなに簡単に身動きを塞がれてしまうなんて。

「…お前、オレを他の子供連中と同じように見てないか?」
「う……」
確かに、見た目が幼い為つい子供に対するのと同じ接し方をしてしまう時がある。
わかっている。わかってはいるのだ。彼は自分よりも年上だと。
しかし人間の視覚情報による誤認とは恐ろしいもので。わかっていても騙されてしまう。
「最初に会った時に言ったよな?人は見かけで判断しない方がいいって」
ぞろりと、背筋が粟立つような声音。
普段の少年のような声とは違う、はっきりと"大人"を感じさせた。
声帯が変わっていないのだから声は同じ筈なのに、言い方ひとつでここまで違うものなのか。
逆光で影の出来た顔に、眼鏡の奥の緩く細めた目と端を吊り上げた口元が張り付いている。
本能的に寒気がした。
いくら見た目が幼かろうと、本棚の一番上に手が届かなかろうと、アレクは自分よりも2年長く生きている。
2年、長く戦いに身を置いている。
「時間」という、どう足掻いても覆せない絶対的な差を見た気がした。

「す…すみま、せん…」
つい、謝罪の言葉が口をついて出た。
それにふっと笑顔を深め、優しげな言葉がかかる。
「よく出来ました。素直な子は嫌いじゃないぜ」
ただしその笑顔は、いつものものとは決して同一ではなく。

「あ、口切れてんな」
「え…?」
言われて気付く。唇の端からの小さな痛み。
倒されて頭を打った時にでも歯で切ったのだろう。
「悪いな」
「いや…別にい」
『別にいい』そう言いたかったのに。
言い終わる前に、言葉が途切れてしまった。
左手首を掴んでいた手が移動し、ぐいと顎を固定されて。
「っ………!!?」
半分しか見えていない目でもわかる。近すぎる距離。
唇の端に感じる生暖かさ。
まるで小さな子供がするように、傷口をべろりと舐められた。
瞬間、ぴりりと沁みる痛みと、ぞわりと背中を這う感覚。
彼の鮮やかな赤い髪が頬にかかりくすぐったい。
思わず解放された左手で顎を掴んでいるアレクの手をどかそうとするが、やはりというか全く動かない。
一体この体のどこからこんな力が出てくるのか。
斧を振るう無表情の少女といい、大剣を振るう気弱な少年といい、甚だ不思議でならない。

実時間にして僅か数秒。体感時間的にはもっと長く感じたのだが、とにかくも数秒間の横暴の末やっと体が離れる。
離れたことで逆に体の力が抜け、左手が掴んでいたアレクの腕から床へとずり落ちる。
「よし、血止まったな」
「…こんなことわざわざしなくても、治癒術ですぐ…」
「そんな小さい傷でマナ消費してられるか」
当たり前だとでもいうように言われれば、確かにそうなのでぐっと言葉に詰まる。
相手はさも楽しそうに黒い笑顔を浮かべながら、ぺろりと自分の唇を舐めた。
それにかっと頬が熱くなる。きっと情けない顔をしているだろう。
一旦離れた顔をずいとまた近付けてきて、視界がすべてアレクで埋まるような距離で一言。
「もう一ついいことを教えてやる。言葉の端に気をつけるんだな。無意識の台詞が相手の琴線に触れるかもわかんねえ」
「……気をつけるよ」
「宜しい」
にやりと、とても子供がするとは思えない笑みが離れていく。
体の上から完全にどかれてもなかなか体が動かず、アレクが本を持って再び見下ろしてきた頃、ようやく重い腰を上げた。
「若いなー坊や。顔赤いぜ?」
「うっさい!あとその『坊や』っていうのやめてくれ!」
ああ、こんなことなら本なんか取ってやるんじゃなかった。
多分、アレクが怒った原因は自分にあるのだろう。だがいくらなんでもこの仕打ちは何だ。
もし次どこかで高い所の物が取れずに困っていても、絶対助けてなどやるものか。
そう心に誓って、資料室を出ようと一歩踏み出す。
そして、気付いた。
扉は、さも自分が出て行くのを待っているかのように廊下への口を開いている。
記憶が正しければ、ここを通りかかってから一度も、あの扉に触れてはいない。
それは、つまり、最初から。

「人が来なくて良かったなぁ?」
「っ―――!!」
ああもう、この人に関わると碌なことが無い。





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「そういや二人大剣同士だなー」
「腕力的な意味でもアレクならキリクをさくっと押し倒せるよね」
という訳で出来た組み合わせ。
たとえ見た目がショタだろうと、アレクの方がずっと食物連鎖の上の方にいます。

深夜のテンションに任せて書き殴った結果がこれだよ!
ロゼキリでもアレキリでも、攻に振り回される構図が変わらないです。
うーんどうしたら違いが出せるんだ…。
キリクが積極的じゃないから、攻が積極的になるしかなくて同じになってしまうんですが。

でも書いてみたら意外と楽しかったです。
これ見た目はショタ攻めになるのか(←
私はショタ攻め萌えはなかったのになあ。
「資料室」なんて勝手に部屋作ってしまいましたが、きっと船にだって本を保管してる場所はあると思ったんだ。

09.12.30
10.10.5(加筆修正)